アントニオ・サリエリ


アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてウィーンで活躍した音楽家です。


1750年8月18日にイタリアのレグナーゴ(Legnago)で生まれ、幼少時代から、チェンバロ、声楽、ヴァイオリンの音楽教育を受けました。両親が死去した後、北イタリアのパドヴァ、ベネチアに住み、16歳の時にフローリアン・レオポルド・ガスマン(Florian Leopold Gassmann)とともにウィーンへ移り住みました。ウィーンに移り住んだ後、彼はその能力を発揮し、有名な作曲家となり、1774年からはヨーゼフ二世の室内作曲家として、またイタリアオペラの楽団長として活躍しました。1788年には王宮楽団長となり、その後は王宮コーラス団の指導に携わり、1817年には音楽学校の指導者に就任しました。1825年5月7日、ウィーンでその生涯を閉じるまで、幅広く活躍しました。

サリエリは教師としても重要な存在であり、有名な生徒としてはベートーベン、シューベルト、リスト、チャコモ・マイヤーベーア(Ciacomo Mayerbeer)、カール・チェルニー(Carl Cerny)、ヨハン・ネポムーク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel)、フランツ・エクサヴェーア・シュスマイヤー(Franz Xaver Süßmayer)などが挙げられます。また、ニューイヤーコンサートで知られるウィーン楽友協会黄金のホールの空間性、音響効果などにも携わりました。

サリエリといえば、モーツァルトに対抗意識を燃やしていた存在としても知られています。歴史的な実証性は不確かですが、モーツァルトを毒殺したのではないかという説もあります。ニコライ・リムスキーコルサコフのオペラ、アレクサンダー・プシュキンの作品のなかでも、サリエリとモーツァルトの激戦が取り扱われています。ペーター・シャーファー(Peter Schaffer)の演劇“アマデウス(Amadeus)”は、サリエリのモーツァルトへの対抗意識を描いた作品として最も有名ものとしてあげられるでしょう。この演劇が原作となり、1984年にはマイロス・フォーマンの映画“アマデウス”が世界で上映されました。

サリエリ研究者はサリエリの無実を訴えたにもかかわらず、サリエリの音楽は、このような影響から、悪い評価を得てしまいます。芸術面から見てみると、オペラ、歌唱劇、オラトリオ、教会音楽・宗教歌、カンタータなどにおいて幅広く高い芸術性を残しています。今ではサリエリが最も賞賛された時期の作品も時とともに忘れ去られ、演奏される機会も少なくなってしまいましたが、オーストリア音楽史の中では忘れられてはならない音楽家のひとりと言っても過言ではないでしょう。



by Austriaannai